サイドカーの出来るまで(後編)
前編でご紹介した、サイドカー製作依頼の旅から約三ヶ月が経ったころ
サイドカーショップ東海の社長さんから完成の連絡が入ったので
今度は引き取りのため 『 郡山 ⇔ 豊川 』 往復で約1,050kmを
家族そろって歌合戦!!・・・。じゃなくって(たしか、象印提供だったよなぁ~。)
家族そろってトラックの旅!! に行くのでありました。
(普通トラックで家族旅はしねーよなぁ~。)
事前打合せでは完成したサイドカーの全幅が1780mmになったとのことで
前回レンタルした3.5t積みトラックでは積載が不可能であると判明!
4tロングボディーのトラックだと幅1850mmまで積み込めると判り
地元にある郡山中央レンタカーさんからパワーゲート付の箱車をレンタル。
出発はETC夜間割引を狙って、夜の23:00に出発と決定。
ところがである・・・。
こういう時に限って、なぜだか460はたまに熱を出すのが悪いお約束。
熱発 : 37.5℃・・・。
なのに準備が万端整っていることを理由にして強行出発したため
後に写真を撮影する気力もない、大変な旅になってしまうのでした・・・。
AM 2:00
東北自動車道を、家族そろって歌合戦しながら南下すること3時間。
川口ICのETCゲートを、お約束通り『開けぇーゴマァ~』と気合で通り抜け
真夜中の首都高をスィ~スィ~スーダラダッと走り抜けている頃に
んー?なんだか段々と体がだるくなってきて。
こーう、なんていぅーの?
運転に気が入らないというか・・・。
(ママさん言うには→実際、車線をキープ出来なかったでしょ!)
グラグラとめまいがするような気もするし・・・。
(ママさん言うには→地面が斜めに揺れてるぅぅぅ。って叫んでたでしょ!)
やがて東名高速の東京料金所を抜けた直後に
ドクドク動悸が高鳴り、頭が割れるような頭痛がして
最後には冷ゃ汗がぴゅううううっと噴出してからは
これ以上の運転は危険と判断して(もっと早く気づけよ・・・。)
神奈川に入ってすぐの港北パーキングエリアにトラックを停める。
ママさんに体温計で熱を測ってもらうと・・・。
41.2℃
そこからのママさんの動きは素早かった。
460をトラックの荷台に移動して寝床を作ると
パーキングエリアの売店に無理いって氷や保冷材を頂き
頭はもとより、お又の間や脇の下を冷やしてくれたり
水分の補給から、栄養剤などを買って来てくれたり
一晩中460の熱を下げることに専念してくれたのだ。
460:『ママありがとうね。やっぱりオイラのこと愛してくれてんだね~。』
ママさん:『ア○ゥ!私はトラック運転できないから、何としてでもあんたに運転してもらわないと困るからこうしてんじゃ!このボ○ェ~』
460:『・・・。』
残暑でまだまだ蒸し暑い季節(9月)なのに
(((゚Д゚)))ガタガタブルブルと容赦なく寒気が襲ってくる。
厳しい寒気に襲われた時間は3時間ほどだっただろうか
やがて寒気も治まり、熱も39.0℃台に落ち着いてきた。
AM 5:00
この周辺はベッドタウンなので夜中に受け入れてもらえる病院は少ないと判断して
とりあえず厚木市辺りの夜間病院に行くことにしてトラックを再スタートさせる。
やがて厚木ICに来たところで、もう少し走ってからでも大丈夫かなぁ~?
なんてスケベ根性が邪魔をして、厚木ICで降りずに南下を続け
(この時もママさんに厚木ICで降りなかったことで折檻される460なのでした・・・。)
結局は沼津IC手前でまた熱が高くなり、沼津市内の夜間病院へと向かう。
AM 7:00 過ぎ 沼津夜間救急医療センター
20年数年ぶりに走る沼津市内の道はすっかり景色が変わってしまって
どこをどう走っているかも判らないまま夜間病院探して市内をウロウロ・・・。
親切な沼津市民に道を聞いて、ようやく夜間救急病院に到着できたぁ~。
と思ったら・・・。
受付で『あら、先生いま帰っちゃったわよ!』とトドメの一撃が・・・。
当たり前のことだけど夜間救急病院ってな、やっぱ夜間だけ診療なんですね。
そこで更に教えて頂いた沼津市立病院までは意識が飛びそうなくらいの状態なので
トラックを置かせてもらいタクシーで病院へ向かうことにして
発熱から10時間後に、ようやっと診察するに至ったのでした。
AM 7:30 沼津市立病院
血液検査・尿検査・胸のレントゲン撮影した後
診察室にお医者様がいらっしゃいました。
●お医者様
『白血球数の上昇が見られるので、風邪ではなく内臓のどこかに炎症を起こしていると思われます。原因が特定できないので2~3日の入院が必要ですね。』
●460
『へっ? せ・・・先生。いま・・何と・・・おっしゃい・・・・・ました?』
沼津まで乗ってきた車がレンタカーで返却期限があることとか
仕事の関係で即日に帰省したい旨を嘆願したところ、何とかご理解を頂けて
①車の運転は奥さんに任せて絶対にしないこと。
②紹介状を書くので、郡山に帰ったらすぐに内科を受診すること。
以上の条件付で退院しても良いということになったのでした。
先生が『奥さん呼んでもらってください。』とママさんを呼んで
もう一度同じ説明を聞かせてくれたとき、ハプニングが・・・。
●お医者様
『車の運転はしないことを条件に、点滴と投薬後に帰っても結構ですよ。』
との先生の説明に、ママさんからトンでもない一言が・・・。
●ママさん
『えぇー!あたしトラックなんて運転できないわよ。あたしたち新幹線で帰るから。』
(こらぁー!ヾ(.;.;゚Д゚)ノ)
この言葉に460を疑わしくみつめる先生・・・。
●お医者様
『トラック?先ほど伺った話では、車で来たとおっしゃってましたよね・・・・?』
●460
『あたしゃ、てっきりトラックも車の仲間だとおもっておりました。』とか
『免許区分上は、ママさんもトラック運転は可能ですから大丈夫です。』など
(そういゃ、ママさんの普通免許ってオートマ限定だったなぁ・・・。)
退院するためにもう~詭弁のオンパレードで白をきり通すのでした・・・。
AM11:30 東名高速復帰
結局このお騒がせな患者は、抗生物質の点滴&痛み止めのおかげで
熱も下がったので、一時的に治ったフリして強引に退院させてもらい
トラックを預けていた沼津夜間救急医療センターに戻って御礼を申し上げ
再度、沼津ICより東名高速下り線上に復帰したのでありました。
PM13:30 サイドカーショップ東海
郡山を出発して既に14時間
いまだ体調不良のままではあるけれど
やっとこさ豊川のサイドカーショップ東海に到着。
いよいよサイドカーとのご対面です。
おぉっ!バイクと舟がくっついている!!(って、あたりまえでしょ。)
今回の旅は病院で診療するために来たのではなくって
本来の目的はこいつを迎えに来たのだ。
熱でフラフラしてたので、今回はこれを撮影するのが精一杯・・・。
社長さんに乗り方を一通りレクチャーして頂いた後
トラックの荷台にサイドカーをキチンと載せたら
帰る時間も少ないのでさっさと福島に向けて帰りまーす。
PM19:30 首都高・銭湯爆発で大渋滞
豊川ICを出て東京までの約270kmの間は
ママさん娘さんは昨夜一睡もしていないせいか爆睡!
途中富士山を見せてあげたくても娘さんは起きる気配なし・・・。
460は点滴中に超爆睡していたので、東京まではノンストップドライブで
このまま順調に行けば、夕方の首都高渋滞も終わっていると思っていた。
しかし、PM17:00頃に海老名SAで見た交通情報掲示板には唖然とした。
首都高の全部が真っ赤に染まっているではありませんか
情報センターの職員さんに何があったのか聞くと
都内渋谷区で銭湯が爆発したそうで
そのため首都高の一部が一時通行止めであったための渋滞だという。
(早口でどうぞ → ブスバスガイドバスガス爆発。)
首都高中央環状線の渋滞は解消されていないので
横浜から湾岸線に抜けて行こうと決めた。
ボーっと運転している460を励まそうとしたママさんが
おしゃべり作戦で攻めてきたためなのか
∑(゚∇゚|||)あっ。
横浜町田ICで高速を降りるの忘れちゃいました。
首都高に入ってから先は、約3時間も首都高で缶詰。
川口ICのETCゲートを『おしっこもれそー』と
大合唱して通過したのがPM10:30過ぎ
黙々と東北自動車道を北進して
結局郡山の自宅に戻ったのは夜中のAM1:00・・・。
今回はたまたま事故などなく済んだからいいけれど
あのまま運転して死亡事故なんて起してたら
トラックだけに一番星になるところでした。(洒落になってないって。)
皆さんも体調不良のときは運転は控えましょうね!
(そういえば、とうやってサイドカー降ろしたのか記憶が無い・・・。)
さぁ、これでサイドカーを手にしたバイクバカ家族
次なる珍道中は何をしようか、楽しみなのであります。ムフフフ・・・。
以上、サイドカーが出来るまで。
完!(つまんねーネタたったぞー!と声が聞こえてきそうだぁ~。)
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